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親子クラスの後、外したヘアゴムを飛ばし合って遊ぶのが、とても楽しい。

指でひいたヘアゴムを要するに輪ゴム鉄砲にして、走り回りながら、狙い、放つのだが、

こちらも止まり、相手も止まって、じっくり狙わせた上でこれを捌くのは、子供相手でも相当に困難だ。

これは、飛翔するエネルギーをゴム自身の弾性に求めているため、投擲に必要な肉体的動作が最小になっているためかもしれない。

おまけに、そのトリガーとなる動作も、二つの指先を離すという筋のマイナス動作であるため、トータルで言ってRCSは極端に小さい。

射撃にリードをとること、走り転げ伏し臥しまた起き走る最中、常に正中線と射線に身を隠すこと。

遊びながらだと、跳んで放っても転げて放っても、見たものを子供はそのまま真似しようとする。

やれと言われてできないことが、遊びの中だと、どんどん吸収されてゆく。

双方に益があるなら、せがまれて、それに乗らない理由がないからなのだが、内実、遊びに付き合ってもらっているのは、子供と私。どちらなのか、もうわからないね。


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練習おわり。

なんか書類を預かった。

翻訳しろとのことなので、Yesって答えたんですけど、

よく考えたら私、英語にがてなんですよ。練習だって空気読んでるだけで、先生たちのしてる英会話さっぱりわかってないしね。よしドーンとこれはだめかもわからんね。

まあなんとかなるさー。最近は翻訳ソフトとかあるしね。

って思ってさっと目を通したら普通にヘブライ語まざってるし!英語にがてとか!言ってられるレベルじゃないきがするけど!

練習まえに師匠とストレッチしながらだらだらチョコもらって聴いてるクラヴマガのお話しになんか似てるっていうか、そのものなように見えてきたからなんとかなるきがしてきた。よしもらったアルフォートの分だけはがんばろうかな。ええ光栄ですとも。


Webで公開されるらしいから、できあがったらみんなもみてやってください。そしたらがんばるし。

さあて。お部屋かえってシャワーあびて牛乳のんでねよう。




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ご新規さんで、たまに赤い表紙の本を携えていらっしゃる方がある。

クラヴマガについて、書籍をもって知識を得んとすれば、その本しか国内ではほぼ見つからないのだから、しかたがない。

とりあえず、うちはそこじゃありませんよ、としか言いようがない。



モトコ、なんで(うちは)生徒が増えないの?

と言う、師匠のぼやきを聴くのが、わたしの稽古前のルーティンなのだが、最近は師匠に本を書いてみてはどうでしょうと、勧めている。


ある団体の発行していたクラヴマガの教本には、一度だけ私も、機会があって目を通した事がある。

分解写真と、わずかなテキストだけで構成されているそれの、その中は、我々の視点からはエラーのないページを探すのが困難な有様で、これはもう別物なのだと、末弟の私ですらそう思った。


イミが、ウィンゲート体育大学に隣接するある施設でクラヴマガ・ハガナアツミットを全軍の格技教官に指導していた頃、紛れ込まざるを得なかった雑草の種が、その集団教練化と合間って各地で様々なミクスドクラヴマガを生み出す事となった。

そして、エリに一時期師事し、エリから黒帯をもらう前にその門を去った人物の独断専行によって最初のクラヴマガ協会は名義と主導権を乗っ取られる形となり、崩壊し、彼による簡化と言う名の改竄は、誰が気づく事なく先の本に見るレベルまで進行してしまった。

あれはたぶん、彼のクラヴマガなのだ。それを選ぶ人も自由だ。私も、差異について言うのはもうよそう。

クラヴマガは、一つではない。

なのでうちも、うちの本を持つべきだと私は思うのだ。



クラヴマガ・ハガナアツミットが世界へ拡散すると同時に濃度を低めながら分化していったことについては、前述した所に大元の原因があり、彼のみに責任を負わせられるものではないと私は思う。

ただクラヴマガの商業化と知名度の向上に及ぼした彼個人の影響があまりに巨大であったため、そこに比例して彼の名と共に功罪が目立ってしまっているというだけだ。

クラヴマガ・ハガナアツミットは集団を相手にして伝えるにはたぶん、はじめから向いていない。

彼は、そこを人一倍背負った人なのだろう。

そして、イミと過ごした時間の短いインストラクターは誰しも、クラヴマガに迷う時、クラヴマガ以外のバックボーンに頼ろうとする。

インストラクター志望者に対して、ボアズは常にそれを危惧し、観察を怠らずその萌芽を断じて許さない。

これは、小所帯ゆえに享受できている我々の強みではないかと私は思う。


話はそれたが、

最初のクラヴマガ協会の発足も、これを世界に広めたいというイミの希望をうけ件の彼がアイデアとして出し、イミがそれを任せた所に始まる。結果はこうだが、その顛末については、単なる裏切り劇だと言い切れない部分も伺える。

誰しもが得手と不得手を持ち、各人がその得手をしてイミへの報恩を果たそうとしながらも、それぞれには譲れないプライドや想いがあった様だ。

彼の功罪のうち、イミの希望を叶えたと言える功績のほうの最たるものであるクラヴマガの世界的な知名度の上昇がここまでに至った、このあたりで、さまざまなクラヴマガの原点たるクラヴマガ・ハガナアツミットについても、書籍が出されても良いのではないかと思うのだけれども、そう感じているのは私だけだろうか。

古臭い、頑固親父の伝える昔のクラヴマガを、見てみたい思っているのは私だけだろうか。



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ラグランスリーブが好きで、それは『よつばと!』のよつばとか新日本プロレスの若手みたいで元気がありそうだからとか、そんなくらいの理由なんですが、

先日、タンスの肥やしになっているって黄色いラグランをね、友達のおばさんから貰ったんですよ。

明るい黄色にグレーの肩をした、変に英語の修飾なども無い、シンプルなラグランだったもんだから、これを頂かない理由がなかったんですけれど、

いちおう着る前に洗濯はしておこうと思いまして。

その日、稽古から帰ったあと、柔道着ほかパンツやらタオルやら他の洗濯物と一緒にして洗濯機に放り込んだんですが、

シャワーあびている間に脱水も終わり、洗濯機の中から柔道着を取り出すと、なんか黄色いんですよ。

なんか!柔道着が!全体的に!蛍光色!

しかも仕上がりに自然な色むらが効かせてあって、すごくアバンギャルドな柔道着に仕上がりあそばしていて、いろいろとうるさいJUDOの試合だったら、たぶんこれアウトだろーなーな感じだし、うちクラヴマガでよかったわーとか思ったわけですが、

そもそも本家のクラヴマガが柔道着をきて稽古をすることになった経緯について、

三日かけあの手この手で漂白しているのにまだ黄色い柔道着をこの晴天に干したことだし、今日は書いてみようと思います。(白くするのあきらめた)


WW2以前の欧州と、その最中、イミ・リヒテンフェルドがクラヴマガの前身になる自己防衛術(ハガナアツミット)をユダヤ人コミュニティおよび抵抗組織で密かにレッスンをしていた頃のウェアは、当時の一般人が普段身につけていた服装そのままで、イミもノータイの背広で稽古をしていたみたい。



WW2の後、現代イスラエルの建国前後、いくつかあった自警団のうち後に国防軍の中核となるハガナーに招かれたイミが、ハガナアツミットを教えていた頃は、戦闘服を着て稽古をしていた様です。



余談になるけれども、創設当時のイスラエル国防軍は表立った武器の輸入を禁じられていて、装備に乏しかったことが知られているけれども、その前身になった自警団時代は言うまでもなく予算がなくて、小銃ですら団員に行き渡らない状態で、

歩哨は棒切れにスリングを渡し肩に担ぎ、煙幕がわりに火を焚いて双眼鏡を用いる敵の斥候の目を誤魔化していたそうなのですが、

そんな物資が欠乏した状態で組み打ちの稽古のみに用いるウェアなど無駄でしかなく、手っ取り早く戦闘服を用いていたわけですが、

実戦でも着ることになる服装で稽古をすることは、それそのものが実践性でしょうしね。



それについてイミの言葉としてのこるのは、稽古着は、その人が普段着ているものを用いるのが最善。なんていうのもあるのですが、

なので今でも警備関係に教えるときにはその勤務中のウェアを用いてもらったりします。

現場では掴み掴まれることが想定されますから、掴まれた時の対処法云々の前に、掴まれ振り回される感覚に慣れ親しむことが肝要ですからね。


さて、国防軍を退役したイミは、テルアビブに道場を開きます。

その看板にはハガナアツミットおよびジュージュツとありました。

第二次世界大戦後、講道館柔道が再び世界へ進出し歓迎されていた時代でした。

イミは講道館柔道の実戦性と近代化された教授システムに注目し、軍に在籍していた頃から、ある柔道家に入門してそれを学んでいました。

そのため、ハガナアツミット(防衛術)がクラヴマガ・ハガナアツミット(接触戦闘防衛術)が講道館柔道から受けた影響は大きく、

目に見える所では、カラーベルトシステムの採用と、専用稽古着としての柔道着の着用がそこらへんでしょうか。





このウェアについてイミは、どれだけ引っ張り振り回しても容易に裂けない頑丈さと、ヒトの服装の最大公約数的なデザインを評価した様で、

ダヴィンチの、ウィトルウィウス的人体図に柔道着を併せて、クラヴマガ・ハガナアツミットを表す最初のマークのデザインとしました。

よっぽど気に入ったんでしょうね。


その誕生の経緯からして常に押っ取り刀であり続けたハガナアツミットが、創始者の退役後のんびりと開いた自分の研究と稽古のための道場で、初めて稽古専用のウェアを手に入れたことには、とても深い意味があるのではないかと私は思います。


そこでイミとヤロンとエリからクラヴマガ・ハガナアツミットを学んだボアズは、イミがもうひとつ憧れて遂に学ぶことの叶わなかった日本武術、合気道を学ぶため、イミに勧められて来日するわけですが、それはまた今度のお話。




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