師匠がリーフレットを作りたいと。

英文のは既にあるから、日本語のものを今度は作りたいと。

イミが生涯あこがれた東洋の日本に、ほんとうのクラヴマガを根付かせるため、日本語を話す人たちにも、ほんとうのクラヴマガについて目を向けてもらうためと。

ではわかりましたと(そんなにスムーズには毎度のことながらいかないけど)、とりあえず下書きしてみた。

ボアズ先生からこの四年で聞いていたことを、思い出しながらまとめてみたよ。
でもまだ私の主観がとり除けていない気がするし、まだ冗長なきがする。実際問題、リーフレットに収まんない気がするし。

クラヴマガ・ハガナアツミットの紹介文らしく、シンプルに効果的にしないとね。

とか言ってあんまり凝っておりますと、また師匠に「モトコはだからのびない。まずはざっくり全体をつくって、それから時間をかけて正確にしていかないと!」

って叱られそうだよ。

だってまあ、日本人なんだもん。

というわけで下書きのままあげえみる。ババーン!


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ボアズ・ハガイ / イミ・クラヴマガ護身術 代表師範

イスラエル国立体育師範学校 ウィンゲート インスティチュート卒
ブカン クラヴマガ日本 首席インストラクター


クラヴマガ・ハガナアツミットの創始者 イミ・リヒテンフェルドおよび、後継者ヤロン・リヒテンフェルドから、14歳の頃よりクラヴマガ・ハガナアツミットを学ぶ。

イスラエル国防軍を退役後(最終階級は先任曹長)、イミ・リヒテンフェルドの勧めにより来日。多様な日本武道と東洋武術および伝統医療を20年に渡って学ぶ。

現在、イミ・クラヴマガ護身術 代表師範として、自身の学んだイミ・リヒテンフェルド直系のクラヴマガ・ハガナアツミットを日本へと根付かせるために都内各所で教授を行なっている。




Q1.クラヴマガって、なあに?

A.イスラエルの護身術です。 体格や人数や武装などで勝る強者の不当な暴力から、弱者が自分で身を守れるように、とても合理的に作られています。 1950年代にイスラエル国防軍の将校イミ・リヒテンフェルドが、幼少期に父親から学んだ逮捕術と自分が青年期に学んだ現代格闘技や西洋古流武術を日本の柔道の教授システムを参考に体系としてまとめ、そこへ実戦経験による戦訓を反映し技術の淘汰を行い、壮年にして大成した個人や集団で身を守るための技術です。
正確には、クラヴマガ・ハガナアツミットと言います。



Q2.クラヴマガ・ハガナアツミットって、どういう意味?

A.イスラエルの公用語、ヘブライ語で「接触戦闘・防衛技術」の意味です。 本当のクラヴマガである我々イミ・クラヴマガ護身術では、創始者イミの定めた通りに、六段階ある級位のうち最初の半分をハガナアツミット(防衛技術)の修得にあて・後半の半分でそれを逆転させクラヴマガ(接触戦闘)の修得を目指します。


Q3.なんだか難しそう。英語も話せないけど大丈夫かな?

A.人間がおぼえたことで咄嗟にできることは、せいぜい3つくらい。とクラヴマガでは考えます。なので、全ては1項目につき3つほど。シンプルに作られています。

ボアズは20年日本に住んでいるので日本語も話せます。日本人の生徒も多く力になりますから言葉の心配はありません。
また日本語も英語も話せる多国籍の生徒が楽しく集まっていますから、逆に考えれば、生きた英会話の中に日常的にひたる機会にもなりますね。


Q4.でも女性や子供が力の強い男性に・素人や老人がスピードの早い若者に勝つなんて、無理じゃない?

A.ボクシングのヘビー級世界王者も股間なら、赤ちゃんのキックのほうが強い。と、創始者イミは言い残しています。
現代的な格闘技とは異なりクラヴマガ・ハガナアツミットでは、身の回りにある物品や環境を使用して、強者でも弱者でも共に鍛えることのできない人体の弱点を狙って、そこをかばう事が出来ないようなく間と戦略を用いて戦うので観察力と発想力は必要ですが、筋力は練習においてそれほど必要とされません。


Q5.じゃあ、クラヴマガをすると、どうなれるの?

A.我々ほんとうのクラヴマガは、フィットネスでも格闘技でも軍隊ごっこでもない、たんなる護身術なので、とても地味です。残念ながら映画のヒーローのように強そうにも・ヒロインのようにボディメイクもできません。

ですが。あなたは、クラヴマガであなた自身になることができます。

より自分らしく、実行力のある自信と安心をもって生きる。

クラヴマガを、はじめてみませんか?

そして、どうせなら、ほんとうのクラヴマガを。




昨日は、摂食も億劫に感じる体調不良だった。久しぶりのことである。

前の春から夜勤を辞して入眠時刻を安定させたせいか、花粉症の症状らしい症状が今年は出ず、枕に加えた工夫も奏功し眠りが深くなったのか日中の眠気と偏頭痛も減り、総じて体調の良好さを最近かんじていた。

のであるが、昨日の頭痛はひどくて、蕎麦を一枚手繰るのもひと苦労であった。

鼻汁や咳痰、それらはついぞ見られず、慣れた初期症状である喉の違和感が端からなかったことと重たい頭痛から、いつもの風邪とは少し違う何かが自分の裡に起きているような気がしていた。

という訳で本日は諸々をお休みにし、寝てすごした。
野口晴哉氏の『風邪の効用』を、おおむね実行したわけである。


栄養と水分の摂取そして排泄のための離床の合間には『死霊戦線』でライラにさせていた様に、寝て寝てまどろみそしてまた眠ることを繰り返して、その意識のオンとオフの狭間にある汽水域では、心ゆくまで思索を愉しんだ。

幼児の頃、熱発の床で目が醒めると、小さな音が大きく聴こえたり、見慣れているはずの子供部屋の天井が、遥か遠く彼方の虚空にあるように感じられたりして、現実のフレームからどこか自分が望まないうちに外へとはみ出てしまったような、そんなまだ夢とも断じきれない何時までも続く認知のゆがみが来ることが怖かったけれども、おとなになった今、休める風邪なら、こんなにたのしいことはない。寂しいことに、あんなこともなくなったしね。

もし、感染性の感冒だけではなく、身体の冬支度・春支度などと例えられる季節性の風邪や・身体の調律というタイプの風邪が本当にあるのだとしたら、その起源は何なのだろうかとも考えてみたりして、けものは換毛期にどんな体調をその裡に感じているのだろうかと思いつき、手元のiPhoneを寄せて調べてみたが、あまりその手のテキストはネットに上がっていない様だった。

聞けば、イルカも風邪をひくという。
おなじ毛のないけものとしても、みすごせない話だなと想いながら、またとろとろと眠りにおちます。何度目かの、おやすみなさい。

第二次世界大戦の終結からほどなく。各国から海路パレスチナめざし押し寄せる帰還船と帰還民の上陸をサポートする海事援助組織パリヤムの中に、若き日のイミ・リヒテンフェルドの姿はあった。

パレスチナ沿岸までたどり着いた帰還民らは、薄明の中、上陸を試みる。それをサポートするパリヤムに彼が参加していたのも、その水泳の達者さを買われてのものであった。

なかば密航のサポートと言えるパリヤムに身をやつす当時の彼だったが、その現代イスラエル建国の混迷たる前夜において、すでに帰還民の中では名だけは知られた人物でもあった。

それは、第二次世界大戦勃発以前の欧州ユダヤ人コミュニティに対する自己防衛術ハガナアツミットの指導による功績。そして、同大戦下における反ナチ活動。加えて、そのまたさらに過去の彼の本来職であったレスリング・ボクシング・ダンスに水泳、そしてトランポリンの名プレイヤーとしての名声である。

やがてパリヤムは、エツェル・レヒ・ショメルなど、他の武装組織らと共に第一次中東戦争勃発への対抗措置として最大の武装組織であったハガナーを中核に合流し、後のイスラエル国防軍となるが、当時はまだ人的規模も小さく、戦車・重火器どころか小銃すら人員数に追いついていなかったハガナーである。

その司令官であり友人でもあったイツハク・サデーから請われ、イミは兵士らに白兵戦闘術を訓練する任に就いた。

それは初め、Krav Panim El Panim(クラヴ パニム エル パニム)と呼ばれた。

顔と顔をつきあわせる戦闘。つまりは近接戦闘と言う程度のそれはまだ訓練科目名であり、のちのクラヴマガ・ハガナアツミットに見るような整理された技術体系ではなかった。

雑多で急ごしらえなそれは、歩哨の肩にある両端にスリングを結わえた棒が遠目には小銃に見えるよう煙幕を絶やさないようにしていた当時のハガナーを象徴する、まだ寄せ集めな、現場における有り合わせの徒手生存術であった。

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